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和歌山地方裁判所 平成3年(ワ)201号 判決

原告

箕島和義

右訴訟代理人弁護士

山口修

山﨑和友

市野勝司

阪本康文

田中繁夫

小野原聡史

被告

石井久子

オウム真理教

右代表者清算人

小野道久

右訴訟代理人弁護士

塚田成四郎

糠谷秀剛

杉野修平

川端和治

大室俊三

鈴木一郎

主文

一  被告石井久子は、別紙物件目録一ないし八記載の不動産につき、別紙仮登記目録記載の各仮登記の抹消登記手続をせよ。

二  被告オウム真理教は、別紙物件目録一ないし八記載の不動産につき、別紙抵当権目録記載の各抵当権設定登記の抹消登記手続をせよ。

三  被告オウム真理教は、別紙物件目録九記載の不動産につき、別紙登記目録(一)記載の共有持分全部移転登記の抹消登記手続をせよ。

四  被告オウム真理教は、別紙物件目録一〇及び一一記載の不動産につき、別紙登記目録(二)記載の各所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

五  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実及び理由

第一  申立て

主文同旨

第二  事案の概要

本件は、原告の所有ないし共有していた別紙物件目録一ないし一一記載の不動産について、農地については被告石井久子が平成二年五月一五日の贈与を原因として条件付所有権移転仮登記手続又は条件付持分全部移転仮登記手続を、被告オウム真理教が右同日の抵当権設定を原因として抵当権設定登記手続をし、それ以外の不動産については被告オウム真理教が右同日の贈与を原因として所有権移転登記手続又は共有持分権移転登記手続をしたが、原告は、右各登記原因の不存在等を主張して、右各不動産の所有権ないし共有持分権に基づき、右各登記の抹消登記手続を求めるものである。

一  争いのない事実等

1  当事者

(一) 被告オウム真理教は、もともと「オウム神仙の会」という宗教団体から発展して、平成元年八月二九日に設定された、主神をシヴァ神として崇拝し、創始者松本智津夫(別名=麻原彰晃)はじめ真にシヴァ神の意志を理解し実行する者の指導のもとに、古代ヨーガ、原始仏教、大乗仏教を背景とした教義をひろめ、儀式行事を行い、信徒を教化育成し、すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目標とし、その目標を達成するために必要な業務を行うことを目的とする宗教法人であった。

なお、被告オウム真理教は、平成七年一二月一九日、東京地方裁判所の解散命令の確定により解散し、同月二〇日、清算人として小野道久が選任された(右事実は当裁判所に顕著である。)。

(二) 被告石井久子は、被告オウム真理教の幹部の一人であり、マハーケイマ正大師と呼ばれる、麻原彰晃の一番弟子である。

(三) 原告は、昭和六二年七月ころ、オゥム神仙の会に入会したが、被告オウム真理教に疑問を抱いて、麻原彰晃らの指示に従わなかったことから、平成二年六月に破門された者である。

2  登記の存在

(一) 原告は、別紙物件目録一ないし一一記載の不動産を所有して(ないし共有持分を有して)いた。

(二) 被告石井久子は、別紙物件目録一ないし八記載の不動産について、別紙仮登記目録記載のとおり、条件付所有権(ないし持分全部)移転仮登記手続を経由した。

(三) 被告オウム真理教は、別紙物件目録一ないし八記載の不動産について、別紙抵当権目録記載のとおり、抵当権設定登記手続を経由し、別紙物件目録九の不動産について、別紙登記目録(一)のとおり、共有持分権全部移転登記手続をし、別紙物件目録一〇及び一一の不動産について、同目録(二)のとおり、所有権移転登記手続を経由した。

二  争点

本件の争点は、被告らに対する前記各登記(以下「本件各登記」という。)手続が原告の意思に基づくものかどうか、及び、各登記手続の原因である原告から被告らに対する平成二年五月一五日の各贈与や抵当権設定及び四〇〇〇万円の金銭消費貸借の存否又はその効力の有無である。

1  登記原因の存否について

(一) 被告の主張

原告は、平成二年五月一五日、被告石井久子に対し、別紙物件目録一ないし八記載の不動産を贈与し、被告オウム真理教に対し、同目録九ないし一一の不動産を贈与した。また、被告オウム真理教は、平成二年五月下旬ころ、四〇〇〇万円を貸し渡し、原告は右債務を担保するため、平成二年五月一五日、被告オウム真理教に対し、別紙物件目録一ないし八記載の不動産について抵当権を設定した。

原告は、オウム真理教に入信して以来、修行、教学及び信者の勧誘に励んでいたが、平成二年五月一五日出家し、それに際して、全財産を被告オウム真理教にお布施として贈与したものである。ただ、その中の農地(別紙物件目録一ないし八記載の不動産)については、宗教法人である被告オウム真理教でなく、名義の移転が容易な被告石井久子に贈与することとなり、原告もこれを了承した。また、原告は、「ばんじろう村生産加工株式会社」をも被告オウム真理教にお布施するため、その株主の有していた株式を買収する必要があったので、被告オウム真理教は、平成二年五月下旬ころ、原告に対し、その費用として四〇〇〇万円を融資したが、農地の移転には農業委員会の許可が必要で、石井久子名義に移転できるとは限らなかったことから、原告との合意の上、右融資金の担保として、別紙物件目録一ないし八記載の不動産について抵当権を設定することにしたのである。融資の日が登記簿上平成二年五月一五日になっているが、これは、本件各登記手続を担当した加藤健次が、詳しい事情を知らず、あまり問題がないと考え、右出家の日にしたに過ぎない。

(二) 原告の主張

原告は、被告石井久子や被告オウム真理教に対し、自己の所有する不動産を贈与したことはない。また、原告は、被告オウム真理教から四〇〇〇万円を借りたこともなく、したがって、別紙抵当権目録記載の登記に記載のような内容の抵当権を設定したこともない。

原告は、被告オウム真理教の教祖麻原彰晃や信者大内利裕らから、全財産(もしくは重要な財産の全て)をお布施としてオウム真理教に贈与して出家することを勧められたが、当時経営していた有機農法による農産物の生産、加工、販売等を目的とする「ばんじろう村生産加工株式会社」を発展させたいと考えていたので、その経営基盤である本件各土地をも手放すことになる出家をすることには躊躇していた。しかし、被告オウム真理教からの勧誘が執拗であるため、原告は、やむを得ず、「ばんじろう村生産加工株式会社」を続けることを条件に出家する(在家出家)ということで被告オウム真理教を納得させた。在家出家の方法によれば、財産を全く手放さなくてもよいのである。

2  本件各登記が原告の意思に基づくものかどうかについて

(一) 被告の主張

本件各登記手続は、全て被告オウム真理教の信者である加藤健次が代理人として行なったものであり、原告の委任状等も加藤が代筆したものであるが、当時和歌山に戻っていた原告の承諾を得ている。

原告は、平成二年五月一五日の出家の際、本件各土地をお布施として贈与することを了解し、不動産の登記済証や実印を交付していたものであるが、加藤は、平成二年五月三一日夜か六月一日午前中に、原告に対し、登記申請手続をしたところ、原告は本件各登記手続をすることを了解して手続を一任したが、手続に必要な印鑑証明は、原告が自ら役場に出向いて交付を受けたものである。

(二) 原告の主張

本件各登記手続は、いずれも原告の意思に基づかずになされたものであり、無効である。

その登記申請手続においては、原告の印鑑証明書及び登記済証(別紙物件目録九記載の不動産については保証書)が利用されており、また、原告名義の登記委任状も存在する。しかし、原告が印鑑証明書等を被告らに交付したものの、それは前記在家出家のために形式的に行なったものであって、被告らに本件各登記手続を委任したものではない。保証書による登記の際の所有者宛照会葉書の回答欄及び右委任状には原告名義の署名があるが、それは原告自身の署名ではない。原告は、登記申請人代理人とされている「東京都杉並区高井戸東二丁目二六番一号 加藤健次」なる者に登記手続を委任したこともない。

3  登記原因の瑕疵について(平成二年五月一五日の贈与を原因とする各登記についての仮定的主張)

原告は、仮に、原告に、被告石井久子や被告オウム真理教に対し、自己の所有する不動産(ないし共有持分)を贈与したり、本件各登記をする意思があったとしても、それは以下のとおり無効あるいは取り消されるべきものであると主張し、被告らはこれらを否認し、あるいは争う(後記(三)以下の主張についても、明確な認否はないが、争っているものと解される。)。

なお、原告が、平成三年五月四日ないし同月一七日送達の訴状において、あるいは、平成七年一二月七日送達の同月一日付準備書面において、被告らに対し、後記(一)の詐欺又は強迫を理由に、右各登記の原因である平成二年五月一五日になした各贈与契約を取り消す旨の意思表示をしたことは当裁判所に顕著である。

(一) 詐欺、強迫による取消

被告オウム真理教の幹部の信者で、当時オウム真理教和歌山支部長の権藤裕美は、原告に対し、全財産をお布施して出家しないと地獄に落ちるとか、核戦争が起きて日本が潰れるので、オウム真理教施設内の核シェルターへ逃げ込めなどと、虚偽であり、かつ、害悪の加わるおそれのある事実を申し向けて、原告を欺罔して錯誤に陥れ、また、畏怖困惑させて、被告石井久子や被告オウム真理教に対し、その所有する不動産(ないし共有持分)を贈与させ、かつ、登記に必要な書類を交付させたものである。

仮に、右行為が第三者詐欺に当たるとしても、それは被告オウム真理教の方針に基づくものであって、被告石井久子及び被告オウム真理教は、その事情を知っていたものである。

(二) 錯誤無効

原告は、被告オウム真理教の教祖や信者の虚偽の教義や予言等によって、贈与しなければ原告及びその家族が地獄に落ちたり、核戦争や自然災害等で破滅すると錯誤し、被告石井久子や被告オウム真理教に対し、その所有する不動産(ないし共有持分)を贈与し、かつ、登記に必要な書類を交付したもので、意思表示の要素に錯誤があり、無効である。

(三) 公序良俗違反

被告オウム真理教は、教祖で元代表役員の麻原彰晃が、世界の王となろうとする自己の権力欲、我欲実現のため、自由に他人を操ったり、その財物を取得するために設立され、発展したものであって、解脱、悟り、超能力を求める者に対し、麻原彰晃がこれらを実現できると宣伝して信者を獲得したうえ、出家させて施設内で生活させると共に、その有する全財産をお布施名下に取得し、信者の経済的基盤を根本から奪った上、脱会すれば地獄に落ちると脅迫し、さらに、物理的強制力を用いて脱会を阻止したり、脱会者を連れ戻すなどして、信者を被告オウム真理教に隷属させ、麻原彰晃の意のままに置こうとするものであるが、これは日本国憲法が保障する行動の自由、良心の自由、信仰の自由(信仰しない自由を含む。)を侵害するもので、このような被告オウム真理教の出家制度や、これと不可分の関係にある全財産の布施(贈与)行為そのものが法の許容しないものである。また、被告オウム真理教は、右の方法によって信者から獲得した財産を経済的基盤として、サリン事件等数々の凶悪事件を遂行してきたものである。そうすると、原告の被告ら(被告石井久子は被告オウム真理教の幹部であり、農地取得のため名義を使用されたに過ぎない。)に対する各贈与は、公序良俗違反として無効とされるべきである。

(四) 目的不到達ないし信義則による撤回

原告は、外の世界にいれば降りかかるであろう核戦争等の種々の災害、災難を避け、被告オウム真理教施設内で幸せに暮らすために、被告石井久子や被告オウム真理教に対し、その所有する不動産(ないし共有持分)を贈与したものである。しかし、現実には被告オウム真理教の施設には核シェルターはなく、原告が考えていた理想郷とは程遠い施設及び生活であった。そのため、原告は、わずか数日で元の暮らしに戻り、被告オウム真理教から脱会せざるを得ず、贈与の目的は達成されなかった。そこで、原告は、右各贈与を目的不到達により解除し、あるいは、信義則により撤回する。

なお、被告オウム真理教の制度上、「千尋の谷修行」(被告オウム真理教施設内での修行における前半の段階と解される。)中に「シッシャ」(出家者、あるいは麻原彰晃の弟子の意)を止めれば、「布施の極限の実践」として贈与した財産を返すことになっている。原告は、右のとおり、出家を止めたものであるから、被告らに贈与した不動産(ないし共有持分)の返還を求める。

(五) 農地法三条の潜脱ないし条件成就不能(別紙物件目録一ないし八記載の農地である土地についての主張)

被告石井久子は、別紙物件目録一ないし八記載の農地である土地を、自分自身が贈与を受けたものでなく、被告オウム真理教が直接農地を取得することができないことから、便宜上その名義を使用したに過ぎない。しかも、被告石井久子は、和歌山県下に居住したことはなく、又、農業経験がなく、農機具等も所有していない等、実際には和歌山で農業を行う意思がなく、農地法上の許可を得やすくするため、右土地の近隣に一時的かつ形式的に住民票を移したに過ぎない者である。したがって、被告石井久子は農業不適格者であって、本件農地について農地法三条の権利移転の許可を得ることは不可能である。要するに、被告石井久子は、農地法三条の許可の制度を潜脱するため、形の上で贈与を受けた主体であるが、右条件が成就することは不能であるから、原告の被告石井久子に対する右農地の各贈与は無効である。

第三  争点に対する判断

一  争点1及び2について

1  証拠(甲三号証の一、二、四号証の一ないし三、五号証の一ないし四、七号証、八号証、乙一号証の一ないし六、二号証の一ないし一七、一九ないし二一、四号証ないし六号証、八号証、九号証の一ないし六三、一〇号証、一一号証の一ないし三〇、証人加藤健次、同早川紀代秀、同別所幸弘、同箕島峯好、原告、被告石井久子、弁論の全趣旨)を総合すれば、以下の事実が認められる。ただし、原告が成立を否認する書証のうち、乙一号証の三、二号証の三、七、一〇、一八及び二〇は、いずれも、原告名下の印影が原告の印章によるものであることは争いがないものの、原告本人の押捺にかかるものでなく、また、原告の署名も原告本人の自署でないこともまた争いがなく、被告らは原告の意思を電話で確認したものの、原告本人尋問の結果に照らすと、右各書証が原告の意思に基づいて顕出されたと直ちには推定できず、いずれも真正に成立したものと認めることはできないから、乙一号証の三、二号証の三、七、一〇及び二〇の原告作成名義部分並びに乙二号証の一八は事実認定の用に供することはできない。その余の書証についてはいずれも、証人加藤健次、同早川紀代秀の各証言及び原告本人尋問の結果から真正に成立したものと認められる。

(一) 原告は、かねてから有機農法や健康法について関心を持っており、別紙物件目録一ないし八記載の不動産において農業を営むかたわら、昭和六二年には「はんじろう村農業組合」という自然食品生産者の集荷組合や、「ばんじろう村生産加工株式会社」という自然食品の卸販売等の会社を作る等して、母箕島峯好や妻箕島陽子らと共にその普及に努めていた。他方で、原告は、仏教にも関心があり、やはり母箕島峯好や妻箕島陽子らと共に仏教を学んでいた。

原告は、昭和六二年、麻原彰晃の著作物を読んで以来、自分の仏教の勉強に参考になると考え、「オウム神仙の会」(当時)の大阪の道場へ通うようになった。そして、昭和六三年夏ころには、母箕島峯好や妻箕島陽子も原告の勧めで同所に通うようになり、両名も次第にオウム神仙の会に熱中するようになった。原告らは、被告オウム真理教が設立されると、これに入信した。その後、原告は、被告オウム真理教の和歌山支部・道場の設立に当たっては、多くの信者を獲得する等オウム真理教の活動に積極的に関与した。なお、被告オウム真理教には、単なる信者として、普通の生活を送りながら、開いている時間に教団の活動に参加するだけの入信の外、その施設で生活して教団の活動に専従する出家(シッシャ)という制度があり、出家を希望する者は、全財産(少なくとも重要な財産は全て)を被告オウム真理教にお布施として贈与しなければならず、その手続としては、出家時又は出家のための説明の際、被告オウム真理教に対し、全財産にはどのようなものがあるかを一覧表にした「布施リスト」を作成して提出すると共に、印鑑証明や実印等必要なものを交付することとされ、出家の際には、右布施リスト、誓約書、履歴書、作文を提出することが義務づけられていた。その後、被告オウム真理教は、幹部らを通じて、原告らに対し、たびたび出家を勧誘するようになった。というのは、被告オウム真理教は、和歌山において、ロータスビレッジ構想という、生まれてから死ぬまで教義に沿った生き方を可能にする、自給自足の農業基地、食糧生産拠点を作り上げる構想を持っており、それを原告の所有していた本件各不動産で実現しようと考えていたからである。

(二) 原告は、平成二年四月、石垣島での被告オウム真理教のセミナーに母や妻とともに参加したが、そこで出家することに渋々同意させられ、同年五月一一日ころまでには幹部の大内利裕や和歌山支部の権藤裕美らに呼ばれて、繰り返し出家するよう求められ、現在の仕事を続けながら出家したと扱うことにするとまで言われたので、被告オウム真理教の指示に従い、五月一四日夜に家族七人で和歌山道場に行って一泊し、翌一五日午前六時に家族七人で同所を出発して自宅に帰った。被告オウム真理教では、その日をもって、原告らが出家したものとした。

原告は、同年五月二〇日ころに、他の出家者と同様、本件各不動産(別紙物件目録九記載の山林を除く。)の権利証や実印を右和歌山支部に預けたが、その前後に、被告オウム真理教和歌山支部の権藤裕美から「核戦争が起こるかもしれないから核シェルターを作ったのでそこへ逃げ込むため、二日間だけ富沢道場へ行け。そのため五月二六日午後一〇時に和歌山道場へ集合し、そこから富沢道場へ向かえ。」との電話を受け、右指示に従い、家族七人で和歌山支部へ集合した後、富沢道場へ行った。原告らは、翌二七日午前九時ころ富沢道場に着いたが、すぐに子供と分けられて空き地に集められ、イニシェーションと称して空き地を歩きながら水を飲まされたりお菓子やアーモンドを渡された後、プレハブ造りの建物に入れられ、数十人から一〇〇人もの人が狭い部屋で同じ姿勢を続けるというヨーガの修行を命じられたが、これは結局一四時間もの間続けて行われ、やっと寝ることが許されるというものであった。

その翌日二八日も同じ修行が続けられたが、原告は、当初、富沢道場には二日間だけいれば良いという話であったので家族そろって帰ろうとした。しかし、妻はもう少し修行を続けたいとの意向であったので、原告も、もう暫く続けることにして修行していたところ、被告オウム真理教の青山吉伸弁護士に、部屋に呼ばれて「ばんじろう村生産加工株式会社」等のことを聞かれ、午後一一時ころには、被告オウム真理教の富士宮総本部に車で連れていかれ、今度は被告オウム真理教の幹部の上祐史浩と青山弁護士に「ばんじろう村生産加工株式会社」等のことを聞かれ、その際、右会社や本件各不動産をお布施として差し出すよう求められた。原告は、株主に迷惑が掛かるとの理由を付けてこれを断ろうとしたが、被告オウム真理教が迷惑が掛からないように金を出して株式を買い取るとまで申し出たので、その場で断ることができず、一方、被告オウム真理教が、原告に対し、和歌山に戻って各株主のところに赴いて株式買取りの手続をすることを求めたので、とりあえず自分一人だけでも和歌山に帰ってからその後どうするかを考えようと思い、その余の家族をオウム真理教の施設に残したままその場を退去し、信者の早川紀代秀や別所幸弘に送られて和歌山に戻った。その後、原告は、暫くの間、呆然としながら暮らした。

(三) 早川紀代秀は、被告オウム真理教の現金四〇〇〇万円を持参して、原告に「ばんじろう村生産加工株式会社」の株主や、「ばんじろう村」の村民と個別に、株式買い取りや村民費返還の交渉をさせた。右四〇〇〇万円は、被告オウム真理教和歌山支部において、信者である別所幸弘によって管理され、最終的には、平成二年六月中旬ころまでに、株式の代金として右株主らに対し計二〇〇〇万円余、ばんじろう村の村民費の返還のため右村民らに対し計二六五万円余が、それぞれ振り込まれ(いずれも振込手数料は別)、残金は被告オウム真理教が回収した。

(四) 他方、早川紀代秀及び権藤裕美は、加藤健次に、本件各登記手続を依頼したところ、加藤健次は、被告オウム真理教の富士宮総本部で本件各不動産(別紙物件目録九記載の山林を除く。)の権利証、実印等を受け取り、別紙物件目録九記載の山林については箕島峯好及び被告石井久子名義の保証書を作成し、打田町役場と桃山町役場に赴いて別紙物件目録一ないし八記載の各不動産の固定資産評価証明書を取得した。他方、早川紀代秀は、加藤健次から、登記手続に必要な印鑑証明書等の書類の調達を要請されたので、平成二年五月下旬、原告に対し、電話で、印鑑証明書を取得するよう求めたところ、原告が取得に必要な実印や印鑑カードは手元にないと答え、これに応じなかったので、同年六月一日、別所幸弘と共に、粉河町で自然食品の販売を行っていた原告方を訪れ、印鑑証明書の取得を求めた。原告は、両名とともに、粉河町役場に赴いたところ、被告オウム真理教の信者の一人が原告の実印を持参して来たので、それを用いて五通の印鑑証明書を入手し、これを両名に渡した。右実印は、これを持参してきた被告オウム真理教の信者の一人が再び持って帰った。登記手続に必要な委任状には加藤健次が原告の氏名を記載し、原告の実印を押捺した。また、保証書による登記の場合の法務局からの確認の葉書の回答欄には別所幸弘が原告の名前を記載して原告の実印を押捺した。

右加藤は、また、農地法三条の許可を申請するためには地元の農業委員が同意する旨の署名押印が必要であるので、必要な書類を整えて、同月八日夕方、原告に、原告の既に知っている農業委員の滝本某のところへ案内させて、右署名押印を得た上、農地法三条の許可申請手続を行なった。しかし、原告は、同月二〇日ころ、打田町役場に赴き、右申請を撤回して、書類を持ち帰った。

なお、証人加藤健次は、同年五月三一日ころ、被告オウム真理教和歌山支部において、原告に会って、布施リストを見ながら本件各登記手続の話をしたところ、自分は忙しいので手続に必要な委任状等は加藤のほうで作成して欲しい旨依頼したし、登記に際しても原告に電話で連絡して了解を得たと証言するが、被告らは布施リストが存在すると主張しながこれを提出しない(証人加藤は、自分が見たのはファックスであったと供述し、他の証人も原本までは見ていないと供述するし、原告本人は、布施リストは被告オウム真理教和歌山支部で書いている途中になくなったと供述する。)し、そもそも委任状に署名する程度であればさほど時間や労力を要するものでもない(反面、原告は自ら印鑑証明書を取りに行っている。)し、将来の紛争防止のためには本人に自署させるのが通常であるから、加藤証言は不自然の感を否めず、右のような依頼したことを否定する趣旨の原告本人尋問の結果に照らして、直ちに信用できない。

2  右認定事実を前提に、まず、原告から被告らに対する本件各不動産の贈与があったかどうかについて判断する。

原告が、本件各不動産の権利証(別紙物件目録九記載の山林を除く。)や実印を被告オウム真理教和歌山支部に預けたことからすると、原告は出家して被告オウム真理教に全財産をお布施し、本件各不動産も贈与したのではないかとも窺われるところではあるが、原告は、自己の全財産を被告オウム真理教にお布施として贈与し、被告オウム真理教の施設内で生活し、教団の活動に専従するという典型的な「出家」をしたものではなく、被告オウム真理教も原告に出家を強く求めたものの、原告が従来の自然食品関連の仕事を続けることを了承したものであって、原告が渋々ながら応じた出家が直ちにその全財産をお布施として贈与することにつながるものではない。また、出家の際に作成される布施リストについても、原告は完成させないうちに紛失した旨供述し、被告オウム真理教の幹部においてもそのファックスを見たという者以上の者がいないこと、前記のとおり被告らがその原本を提出しないことからすれば、その存在すら疑わしく、真に贈与があったかについては疑いの残るところであり、結局、本件各不動産の贈与の意思表示があったとまで認めることはできない。

3  次に、抵当権設定契約ないし被担保債権の存否について判断する。

この点、被告は、前記1(三)で認定の四〇〇〇万円が原告に対する貸付であり、別紙物件目録一ないし八記載の不動産に設定した抵当権の被担保債権である旨主張し、それに沿う証人別所幸弘、同早川紀代秀の証言もあるが、その各証言によっても、右四〇〇〇万円は一旦は原告にも交付されたかもしれないけれども、もともと早川紀代秀が調達し、殆ど別所幸弘が被告オウム真理教和歌山支部において管理していたものであること、しかも右各物件が農地であるため、農地法三条の許可を得て被告石井久子への所有権移転登記手続が完了すれば返さなくて良いものであること(証人早川は、代物弁済との語句を用いているが、当該農地が被告オウム真理教の方に帰属すれば返済を要しないとの趣旨であることに変わりがない。)が認められる。そもそも、出家して全財産をお布施として被告オウム真理教に贈与した者に対しての貸付という被告らの主張は不自然であり、また、右主張と反対の趣旨の原告本人尋問の結果も考慮すると、右四〇〇〇万円は、被告オウム真理教が、「ばんじろう村生産加工株式会社」の株式を買い取り、「ばんじろう村」の村民費を払い戻して、原告が被告オウム真理教に対して本件各不動産の贈与等を断る理由をなくすために出捐したものと解するのが相当であり、これを原告に対する貸付金と解することは実態にそぐわないものというべきである。

4  本件各登記手続が原告の意思に基づくものであるかどうかについて判断する。

確かに、前記1で認定のとおり、印鑑証明書は六月一日に原告自身が粉河町役場に取りに行ったものであること、農地法三条の許可申請に必要な農業委員を加藤健次らに紹介したのも原告自身であることが認められ、これらはいかにも本件各登記が原告の意思に基づくものであることを窺わせるものであるが、反面、原告としては、被告オウム真理教に家族と離れ離れにされて連絡もままならないので、執拗に登記手続を求める被告オウム真理教の信者らに対して、露骨に強い態度に出られず、登記手続は司法書士が行うであろうから、最終的に司法書士が介在する段階になるまで、表向きは早川紀代秀らの言うとおりにしていたとする原告本人尋問の結果をあながち虚偽のものとして排斥することができず(農業委員の所に案内した点についても、原告はその時初めて具体的に、加藤健次らが司法書士を通さないで本件各登記手続をしたのではないかと考え、ショックを受けたと供述する。)、右事実をもってしても、原告が本件各登記手続を了解していたとまでは認めることはできないというべきである。

二  以上のとおりであるから、原告の請求は、その余について判断するまでもなく、全て理由がある。

(裁判官福田修久 裁判長裁判官林醇及び裁判官中野信也は、いずれも転補のため、署名押印することができない 裁判官福田修久)

別紙〈省略〉

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